永禄6(1563)年、有馬義貞の招きによって、イルマン・ルイス・デ・アルメイダが口之津に教会を開き、翌年の春トーレス神父はそこへ移ったので口之津は教会の本部となった。永禄10(1567)年、トリスタン・ヴァス・デ・ヴェイガ船長のポルトガル船が口之津に入港した。また天正7(1579)年、リオネル・デ・ブリットの船でヴァリニャーノ神父が上陸し、ここでセミナリョの会則などを編纂した。天正10(1582)年までに入港したポルトガル船は7隻を数える。当時の口之津港は活発な国際貿易の港であった。
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